これからの任意整理の統一
アメリカが第2次石油ショックのインフレ後遺症の弊害の大きさにこりて、「インフレをコントロールする政策」、つまり「ディスインフレ政策」に経済戦略を大転換させたためであり、その必然的帰結として、「金」は「石油」にも連動させず、「金」は「有事」にも反応させないことにしたのである。
そして、このアメリカの本音の明確な意思表示が、「湾岸戦争」のときに、世界に向かってはっきりと表明されたのである。
だから、「湾岸戦争」以後、1997年の「アジア通貨危機」にも1998年の「ロシアのルーブル危機」「アメリカのヘッジファンドレTCMの破綻」などの「有事」に、「金」は反応しなくなっているのである。
世間の人々は「1990年代に入ると金は有事にも反応しなくなってしまった」と、不思議がるが、私の仮説をもとに分析する手法によれば、不思議でも何でもないのである。
これは物事の現象だけみて議論するのか、現象の背後にある物事の本質を見抜こうと「仮説」をたてて本質に肉薄しようとするのかの、研究手法の差から生じているのである。
湾岸戦争は、アメリカの「第2次金偏蓄大増強」戦略への契機イラクのクウェート侵攻を起因とする1991年1月の「湾岸戦争」の前後には、ルーブル危機2000年アジア通貨危機の余波を受け、財政危樋が深刻化し、金融市場が混乱。
ルーブルの大幅下落はロシアを再び政治的混乱状態に陥れる可能性があるとして、IMFを中心に国際的支援に乗り出す世界史レベルの大事件がいくつも起っている。
1989年 3月のベルリンの壁の崩壊、3月の米ソ首脳によるマルタ島での冷戦終結の合意、湾岸戦争後の1991年3月のソ連邦の消滅などがある。
これらはアメリカから見ると、東西冷戦構造の崩壊と勝利へのプロセスと、そのトドメということになる。
「湾岸戦争」の意味を、アメリカの国家戦略のなかで考えてみよう。
金価格の動きをみると、第2次石油ショックを起因とする1980年1月の850ドルを境として、1980年から今日まで2000年間にわたり、歴史的な長期下降傾向を形成している。
この理由はすでに説明したとおり、アメリカの「ディスインフレ政策」への大転換が、戦略的に行われたためである。
ところが、この長期下降傾向をさらにこまかく分析してみると、「湾岸戦争」の前と後では、様相を大きく異にしているのである。
「湾岸戦争」が金価格の動向に対して、「分水嶺」の意味をもっているのだ。
金価格は湾岸戦争以前、つまり1980年の850ドルから1991年の湾岸戦争までは、何度か500ドル以上の高値を記録している。
ところが、「湾岸戦争」のときの戻り高値403ドル以後には、500ドルを越えることはなく、400ドルを越えたのもわずか3回で、1993年に409ドル、1995年に401ドル、1996年に417ドルであった。
金価格の高値の天井は、「湾岸戦争」の前と比べて、大きく下がっていることが顕著である。
ちなみに、1991年の年間最安値は344ドルであった。
1992年から1999年までの年間最安値を挙げてみると、329ドル、326ドル、369ドル、372ドル、366ドル、281ドル、274ドル、253ドルとなっている。
この金価格の動きを見れば、「湾岸戦争」が「分水嶺」の意味をもっていることは、はっきりしている。
世間では、このことに注意を向けていない。
ところが、これだけ価格水準に差があれば、これは意味のある違い、いわゆる「有意差」であり、絶対に見落としてはいけないことなのである。
そこで、何がこの「有意差」をもたらしているかが、問題となる。
結論を先にいえば、「湾岸戦争」以後、アメリカが「低価格」での「金備蓄大増強」戦略の実行プログラムに参加したことの結果なのである。
アメリカはすでに、1970年代に財務省が保有する金を市場に放出して金価格を下落させ、国民に安値ゾーンで金の購入がしやすいようにしたり、また、「金廃貨」論にこじつけてIMFが保有する金を売却させる根回しをして、実際に売却を開始して市場に恐怖感を与えて、金価格の下落を誘導して、おなじく、国民に低価格水準での金購入の機会を提供したことは、すでに述べた。
これが第1回の「低価格」での「金備蓄大増強」キャンペーンであり、今回は2度目のアメリカの戦略的なキャンペーンなのである。
なぜ、アメリカが「湾岸戦争」直後から、2回目の「低価格」での「金備蓄大増強」戦略に着手したかといえば、「湾岸戦争」直前に、第3次世界大戦ともいうべき冷戦を、実戦をまじえずに勝利できたからである。
悪の帝国ソ連をたおし冷戦を終結させ、アメリカはそれまでの二大超大国の一方の親分から、「唯一超大国」つまり「覇権国」に実質的に昇格したのである。
アメリカは冷戦を終結させただけではなく、ソ連邦を解体にまで追い込むことに成功した。
旧ソ連の中核はロシアとなったが、ロシアは石油価格への影響力をほとんど失ってしまい、アメリカが「唯一の石油価格決定権者」に昇格したのである。
そこで、アメリカは外部からの、石油価格への影響力を心配しないで、言いかえれば、予期せぬ石油価格の急上昇へのファイナンス手段として金価格を上げる必要がなくなったので、安心して、金価格を下落させられるようになったのである。
アメリカが「湾岸戦争」以後、大胆に「低価格」での「金備蓄大増強」を開始した理由は、「冷戦の勝利」ばかりではない。
それに勝るとも劣らない重要な要因が、他にもあるのである。
「湾岸戦争」にもっと密着した要因である。
「湾岸戦争」で、アメリカは「ワシントン・リャド密約」の義務を完全に履行したのだ。
「ワシントン・リャド密約」では、サウジアラビアのサウド王家を、アメリカはその最新の兵器を備えた世界最強の軍事力で守ることになっている。
しかし、サウド王家にしてみれば、本当にアメリカがアメリカの世論をまとめて、サウジアラビア防衛を実行するか、一抹の不安がなかったとは、いえまい。
だが、アメリカは敢然とこの「密約」を成し遂げたのである。
アメリカはFセインのサウジアラビアへの侵攻を断固として、未然に防いだ。
一方、中東の安定のために、Kッシンジャーのアドバイスにより作った地下の秘密軍事基地の利用に、どれだけサウジアラビアが協力するかは、アメリカにとっても、一抹の不安がなかったとは、いえまい。
それまでアメリカとサウジアラビアは、「ワシントン・リャド密約」を約束している関係ではあっても、おたがいに相手がどれだけ履行するかは、確信できなかったにちがいない。
だが、サウジアラビアもこの「密約」を確実に履行した。
サゥジアラビアは、アラブ諸国の反発も恐れずに、異教徒キリスト教のアメリカ人の軍人たちを、全面的に受け入れたのである。
サウジアラビアに軍隊を駐留させることは、アメリカの長年の夢であった。
「湾岸戦争」でこの夢は実現した。
「湾岸戦争」が、おたがいに相手国に対して、かぎりない信頼感を構築することに成功させたのである。
たんにイラクの野望をたたいたというだけではなく、このような「湾岸戦争」の効用があったのである。
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